panic button「閻魔のかんざし」2014年12月26日~28日 あとがき

【あとがき】

ラジオやパンフレットにも書いたが…今回の言いだしっぺは松井である。

 

東京にきて5年、スノーマンで旗揚げして劇場公演の色々に超絶うんざりした結果。第6ボタンはダイニング公演に活動を移し、これといって東京の小劇場で名をあげることもなく好きなやつらと好きなことをして好きなお客さんに「好き」と言われる演劇をし続けた。

 

運営も赤字を食らうこともなく、普通にバイトさえしていれば、これといって何にも痛くない。自分も役者も「Wワークっす。」と言える演劇企画にまで成長させてきたのだ。

 

でも、問題は感じていた。

 

自分が思う出演者の都合がうまくかみ合っていかない…。

オーディションでも納得いく新しい仲間は増えない…。

ダイニングが繁盛店になったが故にスペースにも限界を感じる…。

 

一緒にやってくれる座組が自分の演出に慣れ始めれば慣れ始めるほど、なんだか、いろいろともどかしい…。

 

役者を劇場にも連れていける力もなく、ダイニングで敷居をさげた演劇をしたところで新規の集客が爆発的に増えるわけでもない。

 

「じゃあ、やってる意味ってどこにあるの?」と、なってしまったのだ。

 

さらに「結婚」したことも重なり、2014年分の企画が終わったら、単身赴任の旦那についていきそこで演劇活動ともども見直そうと決めた。

 

しかし、2013年の年末に松井から1本の電話が入った。

「フジコさん、お時間ないですか?飲みたいんです。」と。

新宿の居酒屋で飲み「納得いく座組で、納得いく公演がやりたいんです。」

最初は「はいはい、頑張ってねぇ~」と流していたが…。

 

結局、2014年の年末に「主宰を松井とし、全責任を松井が負うなら全力で助ける」という話でまとまってしまった。

 

あのときに「もう6月で演劇辞めるからやんないよ。」と、言っていたらどうなっていたんだろう?10年前の作品をひっぱりだして、書き直し、初のエンタメ芝居への挑戦だったが、ここまでのことができるとは正直、想像していなかった。

 

無事に5ステージを終えて、築地から十条に移動して「うまいもんや」に「ただいま」と言って入り、いつものように五円玉を渡して、交換し、ハグし、今までのお礼をいって回る…。結果、色紙まで準備してもらい…付き合いの長いレギュラーのメンバーと話をしたら涙腺崩壊。

 

いい歳なんだから、もっと自分自身、冷めていると思っていたけど、全然違ったね(笑)

 

ここまで私のお遊びに付き合ってくれてありがとう。

ここまで私の作品を好きでいてくれてありがとう。

やっぱり演劇続けたいな…って思わせてくれてありがとう。

心から愛してます。

また演劇やりましょう。

私からのブラックメールをお楽しみに。