スタートのとき、「脚本かけない。」「脚本かけない。」とスノーマンが終わってからぶつくさといっていた。
本当に書けなかった。
なんか普通なのだ。人に「いいなぁ」と思われる要素がちゃんとある普通の女の子の話しを書いてみたかった。
相変わらず私は会話を反映してしかセリフにできないので、飲み会の女子の話しをとにかく聞いていた。
だから今回は女優が多い。
俳優は2人しかいない。でも、そんな感じはほとんどしない。
俳優のキャラが濃いから悪目立ちしているから、なんか存在感が濃いからちょうどいいのだ。
悪目立ちから脚本をつけたし、稽古中に面白いなと思ったアドリブはそのまま付け加える。
それの繰り返し。
だいたい、みんな我が!我が!と前にでたがる役者陣なので…広げられるところは拾いまくっていこうという結論に至った。
アドリブでまかせっきりなところもあるし。
父のところは本当に「父の過去が流暢に語られるであろう(アドリブ)」と台本に記されている。
前回の公演よりかは画的に「魅せる!」という部分は少ない。
でも、やっぱり脱がせた。
女が脱いでギョッとなるのではなく、そこであまりのマヌケさに笑うというところにもっていきたかった。
結果は、まずまずだったのではないかと思う。
この「どっからが愛!」の主人公の当初のモデルは私の元いた劇団の同期。
彼女のような「超普通の女子」が本当に好きな人が、あんなことやこんなことをしたらどういう対処をするのかを考えて書いていった。
かおり・みずき・さきの会話はまるまる、私と制作が飲み会にいったときの会話をおこしただけ。
会社の後輩のセリフは実際にオーディションの後に飲んだときに本人がいっていたセリフを反映したり、あとは舞台美術でついていてくれた俳優が良くいってる言葉をいただいた。
実体験ですか?と聞かれるが、そう。これはどこかにいるみんなの実体験で構成されているのだ。
でも、実際に稽古を進めてみると、やっぱり面白い。
モデルがいるにも関わらず、もうその「彼女」ではないのだ。
もう独立した「さきちゃん」なのだ。
ラストがあんなのではもったいない!といわれた。
その言葉に影響を受けて、相変わらずな「ながみね節」を出してやろうかと考えた。
でも、あれが「さきちゃん」の迎えるラストなのだ。
人としての道筋からは決してそれないという形にもっていきたかった。
墓の中まであの事故のことは秘密にしていく。そして、なんとなぁくすりぬけながら、またどうしようもない男を好きになっては騙されて「ちくしょー!」と思いながらも恋していく。
彼女が幸せになる日は来るのだろうか。
そんなエンディングが書けるようなら、私はとっくに結婚して演劇なんか辞めていい旦那の子供を産んで子育てに奮闘していると思う。